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読書。『ヴェネツィアの歴史』

要約/共和国末期17、8世紀の文化を中心に、前段までの歴史をやや駆け足で追う。情報量を多く含む独特の文章なので、理解するには繰り返し読む必要がある。論拠が薄い印象が否めず、一般教養書というべき。

●タイトル:ヴェネツィアの歴史――共和国の残照
●著者:永井三明
●レーベル:刀水歴史全書
●出版社:刀水書房

◆◆◆論拠の薄さ◆◆◆
 久しぶりにヴェネツィア共和国に触れる本――しかも永井先生の――を読んだ。自分はまだ未読だが『ヴェネツィア貴族の世界』をものした人の著書だからと、結構期待して手に取った。

 しかし、少し読み進めて感じたのは、内容そのものの根拠が弱く、典拠が示されていないことだった。
 この本はかなり情報量がある。著者の論文を読んでも解るが、十数ページの論文でも情報量が非常に多く、読みこなすのがなかなか大変なのだ。それは著者の知識量が大きいことを示していると思う。

 著者の文章は一文が比較的長いが、読みにくいほどではない。しかし、そこに含まれる情報量が多いので、何度か読まないとその情報量を呑み込みきれないきらいがある。
 そうした癖を解っておいて本書を読んだとしても、根拠が非常に弱いか、ないという危うさじみた雰囲気が全体を包んでしまっている。

 単なる歴史読み物としてみれば、これほど充実した情報量を持つ本もなかなかない気がする。しかし、読み物としてみなした場合には決して読みやすいとはいえない。
 逆に、論としてみなすと論拠は薄弱であり、また説得力に欠け首をかしげざるを得ない所が多すぎる。

 単なる教養書というにはその情報量は豊富過ぎるが、論としてはとても見なせない本書を総括するならば…

「文章がちょっと読みにくい『海の都の物語』」

 となろう。

 はっきりいう。

 典拠を求めなければ…塩野七生を読んだ方がドラマチックで面白い
 典拠を求めようとすると…致命的なほど典拠、論拠が薄く、足りない

 総じて、中途半端な本なのだ。ただし、学者の書く教養本にしては、当時の様子が割と生き生きした筆致で描かれていて、面白い。これは生活史を中心にして生活くささを前面に押し出しているからだろう。

◆◆◆ヴェネツィア賛美◆◆◆
 本書は、どうも文章の書きぶりに偏りがあるような気がしてしかたがない。

 根拠の薄弱さと併せて常に感じるこの偏りは、一言で言えば「ヴェネツィア擁護・賛美の姿勢」かもしれない。

 たとえば第四回十字軍のザダール(ザーラ)攻略と、それに関する外交的取引の話がない。

 それから、アメリカ大陸からの流入産物についてはヴェネツィアにとって特に脅威ではないという結論に対し「到底承伏しがたい」と言うだけで済ませ、理由が語られていない。
『イギリス・オランダ』、『スペイン・ポルトガル』、『ヴェネツィア』と三つの地域からのアメリカ大陸までの航程はかなり違いがあるが、たいした違いではないかのように書かれている。流入した銀についての話もない。

 そのくせマルセイユから東地中海までの旅程については、ヴェネツィアに比べるべくもなく迅速性に欠け不利であると書かれていたりする。

 また、テッラフェルマに関する記述がほとんど見られない。17、18世紀の共和国末期を取り上げるなら、本土領と貴族の関係は欠かせない材料のはずだが、あまり検討が加えられていない。あくまで毛織物業などの産業とのかかわりについて書かれているだけだ。

 ほかにも色々とほのみえるが、総じて「ヴェネツィア共和国のすばらしさ(?)」なる幻想に不必要な要素を削っているような印象をぬぐえない。

 それは、共和国末期のヴェネツィアへの評価を翻そうとする研究テーマゆえに、まるで不利な証拠を削るかのようである。そこまではさすがに言い過ぎかも知れないが、目立つように感じられてしまう。

◆◆◆ヴェネツィアの貴族についての記述◆◆◆
 話は変わるが、共和国の貴族階級は、ヨーロッパで一般的な封建領主的な貴族とはいささか趣が違うといわれている。

 著者の指摘にもあるが、共和国の貴族は、末期に近づくまでひたすら商業に励み、贅沢をしない人々であった。
 しかし末期にはそれが崩れ、奢侈品を買いあさったり、パーティを毎日開いたりして豪勢な生活をひけらかすようになったという。

 この変化についての考察は著書にはあまりない。国家の危機をいくどか乗り越え、ついに歴史の表舞台から消えたことによって国家の危機そのものが消失し、そのため安穏とした暮らしができるようになったからだ、と説明されている。そういう側面はあるだろうが、印象による意見であって、根拠を求めにくい理由だ。

 以前エントリに書いた和栗珠里氏の論文『ヴェネツィア芸術の隆盛と土地所有』では、本土側(いわゆるテッラ・フェルマ)での土地所有とヴェネツィア芸術の開花との関わりについて述べられており、同じような観点から考察できそうな気はする。

 簡単に言えば、商業を放棄するまでの共和国貴族階級は、ヨーロッパの封建的貴族階級とはやはり違う性格を持っていて、その後本土に領地をもち農業運営に乗り出してから急速に封建貴族の模倣が始まるという指摘があって、なかなか興味深い。

 著者は共和国貴族の成立と変容についてはほとんど筆を割いていない。
 日記や風俗画、戯曲といった当時の風俗の面から初期・全盛期の貴族との比較を行うにとどめており、「貴族たちはいかにふぬけたか」という焦点を強く持っている。

 結局生活史の紹介にとどまってしまったうえ、共和国の崩壊について「もうちょっとがんばればもう少し存続できたはず」のような単なる一歴史ファンとしての言動に落ち着いている。

 末期ヴェネツィア史の評価をどうにかして上げたいと言う気持ちは分かる。しかし、その意識が色濃く出過ぎている。まるで当時の貴族を叱咤激励するかのような書きぶりは、この本の目的というか本質を非常によく表しているのじゃないかと思う。
 少なくとも学問として本書と向き合いたい場合には、あまり都合が良くない。

 こうしたことからも『海の都の物語』の補足版といった趣をなしてしまっている、と評価せざるを得ない。

 参考文献の少なさもそういった意見を補強するかも知れない。
 執筆に用いた一次資料として、最も頻度の高かった書物が列挙されているが、そのうちの二冊は

 ポンペオ・モルメンティ『ヴェネツィア生活史』(La Storia di Venezia Nella Vita Privata : Pompeo Molmenti)
 J.J.ノリッジ『ベニスの歴史』(A History of Venice:John Julius Norwich)

 となっている。
 一次資料が書籍なうえ、引用元が本文に全く明記されていないので、根拠を追えない。そうしたことも本書の論拠の弱さを補強してしまっていると思う。

 しかし、末期共和国の研究は進められている最中でもあり、著者の書いている世界はいわば半開拓状態だ。だからこれといった説得力が持てない可能性は、あるにはある。

◆◆◆本書の総評◆◆◆
 繰り返しになるが、この本は塩野七生著『海の都の物語』と併せて読む本だろう。つまり鵜呑みにしてはならないが、興味深い読み物であるということだ。そして、共和国の歴史に関する勉強をするとき、この本を読んでざっと知識を得るのに適しているかもしれない。

 むしろ、モルメンティの著作を翻訳してくれた方がありがたい気さえ、自分はするわけだが…(笑)

――――――

 さんざん文句を書きつつも、やはりヴェネツィア共和国の歴史に触れるのは面白い。

 先日、『笑ってコラえて!』でヴェネツィアのカルネヴァレが特集されていた。サン・マルコ広場、サン・マルコ寺院、それに鐘塔とドージェ宮がいつも映っており、ピエトロ・ロンギの絵やフェニーチェ劇場など、本書で紹介されている事物が映像とともに紹介されていた。

 むろん映像に釘付けである。

 カルネヴァレまたいきてぇ…くそぅ。

 残念ながら、カルネヴァレと関わりがあるのは風俗画の世界なので、ティツィアーノやティントレットはお呼びでない。また地中海を席巻したあのめくるめく交易の世界とも、直接の関係は薄い。

 全盛期よりも斜陽のヴェネツィアを彩るのがカルネヴァレになっているが、ではその斜陽とは一体どんなことだったのか。
 庶民と貴族の生活、その当時の意識を探る試みそれ自体に、敬意を表したい本だと思う。

読書。『トウガラシ賛歌』

要約/トウガラシを利用した世界各地の風習、料理の紹介本。日本からブルキナ・ファソまで数多くの地域に記述が及び、国際色豊かだ。ただし学術面は非常に薄いので、食べ物の面白い読み物と捉える方が良い。

●タイトル:トウガラシ賛歌
●著者:山本紀夫、他
●出版社:八坂書房

 この本は、トウガラシのことを紹介した本である。
 トウガラシが利用されている国は世界中にたくさんある。なかでも特に利用の盛んな国ごとに執筆者が専門とする立場(民族植物学や食文化論などなど)から眺め、レシピを中心に紹介された面白いコンセプトの本だ。

 本の帯にかかれている文句がもっともこの本を的確に表現している。引用してみる。

【トウガラシは、なぜ、旨い!
コロンブスが持ち帰ってから、わずか500年余りで世界中に広まった不思議な食べ物トウガラシ。
各地の食文化と結びついて新たな 味をはぐくみ、人びとを虜にしてきたその魅力を、さまざまな角度から紹介する。
世界各国のトウガラシ料理の簡単レシピ付き。】

「さまざまな角度」ではなく「さまざまな人々」により紹介された唐辛子料理、唐辛子調味料の本であり、実際には角度があまり広くない。

 本書は「紹介」という言葉がキモである。

 食文化「論」としてこの本を見てしまうと、考察が圧倒的に薄っぺらい。

 たとえば、タイはトムヤムクンなど辛い料理がたくさんあり、トウガラシの消費量が世界一と言うのもうなずける。
 だが、ではなぜそれほどまでにトウガラシが利用されるようになったのか、という考察がほぼない。

…………………

 山本紀夫氏によると、コロンブスが持ち帰ったとされるトウガラシについて、現在までに数種が知られていると紹介されている。
 俺の印象だと山本氏のこの章だけが研究色を強くかもしている他は、わずかに自生種の調査が行われた事実の紹介くらいで、あとは国々のご当地レシピと調味料の説明に終始している。

 調味料については大変興味深い話がたくさん載っているけれども、観察事実と考察、仮説などの文章がほとんどない。これは、俺にとっては圧倒的に物足りない。ゆえにこれはいささか値段が高い(20名からの執筆者がいるというのも値段を上げている原因かも知れない)。

 しかし、唐辛子やパプリカ、ピーマンなどが各国で様々に利用されているそのレシピは興味深いし、これほどの国を集めて紹介している本もそうそうないのではないだろうか。
 ブータンでは野菜として青い唐辛子が食べられているとか、アフリカのブルキナ・ファソでも唐辛子の利用が盛んだとか、そもそもそんな国々の食事情が乗っている本なんて初めてで、そういう意味では物珍しい面白い本だと思う。

 また、大航海時代オンラインを遊んでいる人にとっては、休憩所や酒場で食べられる各国の料理の名前が登場するから楽しいんじゃないかと思った。

 ところでこの本、脱字が3箇所くらいある。今時脱字とはちょっと驚いた。落丁よりはいいが…(笑)

読書。『歴史学入門』

要約/タイトルどおり、歴史学について誰でもわかる文章で書かれた読みやすい本。現代の歴史学に必要な視点、解決すべき問題点や、史資料の基本的な考え方などが網羅されている。学んでいる人にこそお勧め。

●タイトル:歴史学入門
●著者:福井憲彦
●出版社:岩波書店
●レーベル:岩波テキストブックα

◆◆◆入門とか概説とかいう本◆◆◆

 言葉遣いが易しく、また文章構成も飲み込みやすい。理解しやすく読みやすい本といえる。

 入門書、概説などの本は、案外読みこなすのが難しい。
 その理由はいくつかあると思うが、俺の認識では「わざわざ言われなくてもわかる一般的なことがかかれていたりして、総じて退屈である」のがその主原因じゃないかと。つまらないので頭に入らず、読みこなせないということだ。

 となると、歴史に興味をもって接しようとおもって「まずは入門だ」と入門書を手に取ったはよいが、入り口がつまらなくて投げてしまうことになりかねない。

 しかし、このような本は、歴史を学ぶにあたり必要な考え方や、現在研究が進められている諸分野、必読書などをたいてい網羅してある。何かあったらここに立ち戻れば、視野が狭くなっていたのを直せるし、迷ったときに指針を示してくれるかもしれない。

 上記をまとめてみると、入門書というのは基礎知識を仕入れるだけでなく、「もともと学んでいる人のため、基本に立ち返る本」という位置づけになるのではなかろうか。そんな気がしてならない。

 ようするに、基礎知識を仕入れるのにはものすごく役に立つが、興味を持たせる「つかみ」には一番不向きなのが入門書の類なんじゃないだろうか。

 もちろん、歴史をまったく学んだことのない人にとっては初学のための書物として入門書は重要であり、また取っ掛かりともいえるかもしれない。

 が、つかみに不向きという特徴はなかなかひるがえせないと思う。
 だいたい、歴史に限らず、興味を持ったらその興味に突き進むものだろう。「ちょっとまった、基礎からやらなきゃ」と意識するのはなかなかに大変だ。
 サッカーの試合を観て「俺もサッカーをやってみたい」とは思うが、そこで「俺もインサイドのキックをしっかりマスターして試合に出てみたい」などとは普通思わないのだ。

 もちろん、基礎から丹念に積み上げなくてはならない場合も多々あるが、興味を引くには必ずしも基本から入る必要はない。

 入門書が一番力を発揮するのは、自分の経験からいうとこうなる。
「すでにある程度学んでおり、基礎や概説の必要性を自覚したとき」
 自覚したとき、というのが核だ。初学の段階では持ち味を発揮しきれないと思う。

◆◆◆感想◆◆◆

 本書は放送大学で使用されたテキストだそうで、講義当時の本に大幅な改訂を加えてあるという。
 それだけあってさすがに読みやすく、著者の専門であるフランス史をあるていどの軸として、歴史上のいろいろな時代、いろいろな関心が紹介されている。

 そして、歴史に興味をもって接する段階から、学問へとあゆみを進めたときに必要になる考え方や、方法が解説されている。

 巻末の参考文献も非常に有用で、関心となっている分野の概説だとか、押さえておいたほうがよい文献について書かれている。

 限られた地域・場所、限られた時間を相手にしていると、いつの間にかそれが世界中のどの時間や場所においても常識だったかのように拡大してしまうことがよくある。
 広い視点を持った本は、そのような近視眼的な状態に陥らないためにも使える。この本の内容を大づかみに頭に入れておけば、広い視点をなるべく保ったまま、関心のあることに力を注げる気がする。

 本書は短い読書時間で少しずつ読み進めても頭に入りやすく、これまでの歴史学がどのような視点をとりつつ発展してきたかがよくわかるように書かれている。

 ただし、今まで書いてきたように、すでにある程度知っている人にとってはいまさらな情報も多い。しかし、本書に書かれた非常に広範囲な関心をすべて網羅している人もまたいないであろう。
 そういう意味では、いくばくかの新たな視点・視座、情報が手に入る本であろうと思う。

 この本は斜め読みしても割と頭に入りやすい良書である。

――――――――

 フランス史やヨーロッパ史についてが中心となるこの本は、たまにアナール学派に言及する。以前、フェルナン・ブローデルの『地中海』を読んだが、コレがまた読みにくいったらない。ブローデルが、というよりフランス語の文章が総じて修飾的、詩的なんじゃないかと思う。

 それはともかく著者が書いているように、このアナール派が示した歴史学の方法論は、批判はあっても取り入れるべき視点を作ったことで高く評価されうる。しかもそれは各国史のみならず、歴史を学ぶ上での基本的な視座といえ、一度は目をとおしてその思想に触れる必要があるのじゃないか、と思う。

 もうすこしあの本は読みやすいと助かるんだがなぁ…非常におもしろい本なのになぁ。本書を見習って欲しいもんだなぁ。

読書。『百人一首の歴史学』

要約/歴史学の立場で百人一首を読む試み。登場歌人達を取り合わせつつ、平安の王朝時代を洗い直し、近代までに与えた影響を検討する。歌集自体は薄く触れる程度なので、著者の観点の面白さを読む本だろう。

●タイトル:百人一首の歴史学
●レーベル:NHKブックス
●出版社:NHK出版
●著者:関幸彦

◆◆◆本書の立ち位置◆◆◆
 あとがきにあるように「国文学の独壇に等しい「百人一首」を歴史学の立場から考えてみたかった」というこの一言に尽きる。

 百人一首に選ばれている歌人を、関連性に基づいて幾人ずつか取り合わせていることにより、
「関連する歴史的な事情は何か」
「その事情にはどのような意味があり、それによって中世の歴史から、ひいては後世にどのような影響を与えていると考えられるのか」
「百人一首が後世に与えた「王朝時代」というものの形」
 を考察している。日本の中世史を研究する作者ならではの視点じゃなかろうかと思う。

 百人一首の啓蒙書の読者層は国文に興味のある人だろうし、その意味では歴史学という分野による新鮮な情報がわりとあるかもしれない。百人一首を軸にすると、論文を除けば類書がほとんど見当たらないのも大きい。

◆◆◆百人一首に関心がある側から見ると◆◆◆
 本書は百人一首そのものについて知ろうとすると完全に消化不良である。また、ところどころ上っ面しか調べてないんじゃないかと思うところもある。
 たとえば業平の人物的紹介。「三代実録」を引いているのだが、「学才はなく、和歌の名手であった」という説明をしている。これじゃ業平が勉強まったくできないような書き方になっている。
 学とは漢学であり、漢詩文の才能はないという意味である。

 瑣末な部分だ。しかしそういうちょこちょこしたところが、百人一首を曲がりなりにも勉強した身にとっては気になった。

 本書の重点があくまでも王朝時代史の再検討にある以上、仕方のないことかも知れない。

◆◆◆複数の歌の取り合わせと落とし穴◆◆◆
 ところで、百人一首というのは一人一首ずつ百人分の歌を集めたアンソロジーだが、百人百様というわけではなく、歌の主題や歌人の身分といったように大まかにグループ分けできたりする。たとえば天皇であるとか、女房であるとか、役人であるとか。恋歌や季節の歌が圧倒的に多いとか。
 そのような、ある一定の傾向を持つ歌を取り合わせ、そこから意味を見出すという方法論がある。
 たとえば天皇と院。
 天智天皇、持統天皇、陽成院、光孝天皇、三条院、崇徳院、後鳥羽院、順徳院といる。
 帝という王朝のトップに君臨する方々であるが、「天皇」と「院」では明確といっていいほど境遇が違い、特に院は、政争のなかで敗れた帝たちであるところが特徴的だ。

 と、こんなふうにある特徴を見出すことで、何がしかの意味をも見出すというのが取り合わせの面白さなのだが、ひとつ落とし穴がある。

 百あるなかから何を選んで取り合わせるのかという問題だ。百首あるのだから、極端に言えばどれを選んでもよい。だから下手すると単なるこじつけに陥る可能性もまた高い方法となるのである。
 つまり「選ぶ」という行為自体に明確な根拠がなければ、なんでも取り合わせて理屈づけられてしまうことになるわけだ。

 その明確な根拠に到る道筋の一つとして、複数の歌の取り合わせを編者である定家はそもそも意識しているのか、方法論が適切かを考える必要がある。百人一首の百首を選んだ彼の基準、意識(撰歌意識)のほか、同時代、前代、後代の他の私撰集(特に百首歌)などにも同様の意識はあるのかを突き詰めなければならない。

 近年、百人一首の研究は、百首の歌のそれぞれの個別研究から、定家自身の撰歌意識などのような「全体としてどう捉えるか」が問題とされるようになってきているそうだ。
 つまり百人一首の百首に通底する、定家の考えを探ろうという試みである。どうやらこれは一定の成果が出始めているらしく、例えば源氏物語に通ずる歌がどうも多いようだ、ともいわれている。源氏物語を必読の書と意識していた定家なのだからこれは当然かも知れないが、具体的にその影響を認められるかどうかが研究の眼目になる。

◆◆◆文学とその研究に対する問い◆◆◆
 研究というほどの研究をしない学部生時代を送ってしまったので、これから語ることはおこがましいにもほどがあるのを、あらかじめ断っておく。

 文学の研究は、何のためにするのだろう?
 文学の研究は、何の意味があるのだろう?

 文学は、その当時の文化が生み出した、情緒や思想、意識などの固まりだ。
 そのなかで和歌は、日本が「日本独自の文化=国風文化」を育てるのに非常に重要な役割を果たした。
 これを研究することは、日本独自の文化とその成り立ちを直接学べる機会になろう。
 そして、その学びによって、現代日本に生きるわれわれに有用な、なんらかの知見を示せるかもしれない。

 しかし、たとえば百人一首の成立年代についての考察を深めることは、日本独自の文化をしり、そしてわれわれが生きる現代への指針を何か示せるのだろうか?
 百人一首と百人秀歌の関連性を探ることでも、なんでもいい。そうした研究が現代へ、好奇心を満たす以外の還元すべきなにかを提供できるのだろうか?

 はっきりいって知的好奇心を満たす以上の機能を示していないようにも思える。
 科学技術くらい役に立てとはいわない。でも、先人が残した国文は、日本人が日本人であるための文化の根本に位置する重要な遺産であることは確かなので、これを学ぶこと、解明することはそれだけでも大きな価値がある…といえるか。これなら研究そのものが目的といっても間違いではなさそうだ。

 しかし、例えば百人一首に関する論文などを読めば読むほど、研究のための研究という感じがして仕方がなく、なんだか不毛にも思えてしまう。

 簡単に言うと、作品そのものの解明という短期的な目標は見えるが、それによって中長期的な、大きい目的意識がたいへん見えにくいのだ。

 文学研究は、俺の頭の中では次のような目的意識があるような気がする。もちろんこれは俺の妄想であって、根本から間違っているかも解らない。
・短期的な目的、目標…百人一首という文学そのものを解明すること
・長期的な目的、目標…百人一首という文学を解明することにより、日本人の文化のさらなる理解と、これからの文化醸成における指針とすること

 俺は、文学研究が短期目標にのみ注力されすぎて、文学研究がもたらすはずの長期的な意義が失われかけているような気がしてならない。つまり知的好奇心を満たす以外に何か役に立つのか? という問いに対して、俺は答えが用意できないのだ。

 あるいは、こういう考え方も成り立つだろうか。

「今研究していることが後のさらなる研究の糧となり、後の世代において長期的な目的が達成される。そのための研究である」と。

…これはちがうか。
 攻めの姿勢が微塵もないw

 文学研究以外の分野では、上に書いたような「短期の目的」と「長期の目的」が示され、そして実践されているだろうか?

 文学に限った話ではないのではないだろうか。俺は俺なりに、このごろ歴史について学びつつ、この国に生きていくことと絡めて考えている。
 俺のやりやすい方法が歴史であるというだけで、もっと違ったやり方もあるに違いない。

 研究を行うということは、単に興味を満たすだけではない、もっと大きなパワーがあるはずだというのは、幻想に近いのだろうか?

 もし学問の目的が興味を満たす、知的好奇心を満たすためだけでよいという納得のいく理由があるなら深く考える必要がないんだがなぁ…。

読書。『もういちど読む山川世界史』

要約/教科書を買った方が良いくらい文章がすかすかで、値段も見合わない。Amazonのレビューは的確。教科書の概要といった趣で、世界史を学んでみたい人にとって地ならしするような気持ちで読む本だと思う。

●タイトル:もういちど読む山川世界史
●出版社:山川出版社
●編集:「世界の歴史」編集委員会

◆◆◆むしろ教科書を買った方がいい◆◆◆
 世界史は、その名の通り世界の歴史がどのように流れてきたかを眺める作業であり、複数の地域(面)を時代の流れとともに(線、方向)読み進める方法がとられる。これが日本史(各国史)との大きな違いであるように思う。
 日本だって九州と近畿のように、こまかな地域別に時代を見ていけば同様になるけれども、文化や政治などが丸ごと違う地域を複数相手にして考えを進めるという点では、各国の歴史と「世界」史では、学ぶときに頭の切り替えが若干必要なんじゃないかと思う。

 この本は、要約に書いたように文章がすかすかで、山川の詳説世界史の「あらすじ本」になっている。本文とコラムで構成されており、俺の勝手な印象ではコラムの紙面比率が高いと思った。
 本書を読んだあと、ここからさらに発展的に読み進めるにはどうするのだろうか、考えてみると…

1:『詳説世界史』を読む。本書をあらすじ本から本番へのアプローチとして捉える。

2:『世界史リブレット』を読む。本書から興味あるスポットを詳細に知る。世界史リブレットは詳説世界史を読んだ人の次のステップという印象もあるくらい、わりに詳細な情報をもつ。

3:各国史、文化史、政治史etc.など、専門から本書を読む。このアプローチは上記二点と逆で、自分の興味ある分野の立ち位置を再確認したい人が本書を手に取ることになるはず。

 ちなみに俺は1から3をそれぞれちょっとずつ含んでいるが、主に3の立場で読んだ。

 値段が何で高いかはちょっと頭が働かないから解らない。ともかく久しぶりに通史を読めたのでよしとしたい…のだけれども、文章が駆け足すぎる印象はぬぐえないし、いまいち面白みに欠けるので、本書を読んでもっと世界史の詳しい内容までステップアップしようという気になるかどうかは、微妙だとおもう。

 もともと歴史に対して興味を持っている人が、大雑把に歴史の流れを追ってみるという用途でなら使えそうだ。しかしそれだと用途に比べて設定された値段が高すぎる。教科書は本書に比べてはるかに情報量、文章とも豊富で、しかも安いときているわけで、素直にはじめから教科書を買ったほうがいい。
 となると、「大人用の世界史あらすじ本」としての体裁、価格設定なのかもしれない。

 本書の最大の欠点は、文章に大して面白みがないことだ。教科書であれば、ある歴史の出来事に対して意義なども書かれている。が、そういうのもない。文章にほとんど起伏がなく、急ぎ足で通史を眺めるくらいしかできない。地図などの図面が役に立つけれども、これがなかったらこの本は…買う価値がどこにあるんだろうか。

 ひとまずうんちくをぶちたい人、知ってるつもりでいた知識を再確認したい人などにはよいかも知れない。

◆◆◆自分の読み◆◆◆
 俺はこの本を全部読んでみて、歴史の流れをおおざっぱに押さえた。もう一度読み返してもう少し頭の中に定着した方が良いかな…と思うが、歴史的な事象からいったい何を考え、学ぶかという意義について思考するには全くといっていいほど役に立たない。

 中世のヴェネツィア共和国の歴史に興味を持っているのは今までのエントリでも書いてきたが、自分にとっては1453年をマイルストーンとして、ヨーロッパの歴史時間軸を眺めるのが色々便利だ。
 しかし、この年だけでは300年以上時代が変わるとなんだかよく分からなくなってくる。そこで、この本を使い、時間軸の確認とそこで起こっている出来事などを整理してみていったところ、案外頭の中で整理はできた。

 本書を読んでいるときに、要所要所でもっと詳しい説明が欲しいと思った。たとえばプロイセンという国がドイツになる過程だとか、神聖ローマ帝国に関する掘り下げだとか、いろいろだ。
 そのいろいろが実にさらっと書かれているので、解ったつもりにしかなれないのは痛い。

――――――――

 この本を読んで、ますますキリスト教の歴史を学ばなきゃいかんという気持ちを強くした。体系的に学んでいるわけではないから、しっかり一冊本を読みたいところだ。
 また、歴史学という学問そのもののことも知りたいと思う。今年は一冊の本を熟読する方向で読書をしてみたい。

…が、グイッチャルディーニのイタリア史は読まなきゃいけないんだ…必読だ…高い…(爆)

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