要約/共和国末期17、8世紀の文化を中心に、前段までの歴史をやや駆け足で追う。情報量を多く含む独特の文章なので、理解するには繰り返し読む必要がある。論拠が薄い印象が否めず、一般教養書というべき。
●タイトル:ヴェネツィアの歴史――共和国の残照
●著者:永井三明
●レーベル:刀水歴史全書
●出版社:刀水書房
◆◆◆論拠の薄さ◆◆◆
久しぶりにヴェネツィア共和国に触れる本――しかも永井先生の――を読んだ。自分はまだ未読だが『ヴェネツィア貴族の世界』をものした人の著書だからと、結構期待して手に取った。
しかし、少し読み進めて感じたのは、内容そのものの根拠が弱く、典拠が示されていないことだった。
この本はかなり情報量がある。著者の論文を読んでも解るが、十数ページの論文でも情報量が非常に多く、読みこなすのがなかなか大変なのだ。それは著者の知識量が大きいことを示していると思う。
著者の文章は一文が比較的長いが、読みにくいほどではない。しかし、そこに含まれる情報量が多いので、何度か読まないとその情報量を呑み込みきれないきらいがある。
そうした癖を解っておいて本書を読んだとしても、根拠が非常に弱いか、ないという危うさじみた雰囲気が全体を包んでしまっている。
単なる歴史読み物としてみれば、これほど充実した情報量を持つ本もなかなかない気がする。しかし、読み物としてみなした場合には決して読みやすいとはいえない。
逆に、論としてみなすと論拠は薄弱であり、また説得力に欠け首をかしげざるを得ない所が多すぎる。
単なる教養書というにはその情報量は豊富過ぎるが、論としてはとても見なせない本書を総括するならば…
「文章がちょっと読みにくい『海の都の物語』」
となろう。
はっきりいう。
典拠を求めなければ…塩野七生を読んだ方がドラマチックで面白い
典拠を求めようとすると…致命的なほど典拠、論拠が薄く、足りない
総じて、中途半端な本なのだ。ただし、学者の書く教養本にしては、当時の様子が割と生き生きした筆致で描かれていて、面白い。これは生活史を中心にして生活くささを前面に押し出しているからだろう。
◆◆◆ヴェネツィア賛美◆◆◆
本書は、どうも文章の書きぶりに偏りがあるような気がしてしかたがない。
根拠の薄弱さと併せて常に感じるこの偏りは、一言で言えば「ヴェネツィア擁護・賛美の姿勢」かもしれない。
たとえば第四回十字軍のザダール(ザーラ)攻略と、それに関する外交的取引の話がない。
それから、アメリカ大陸からの流入産物についてはヴェネツィアにとって特に脅威ではないという結論に対し「到底承伏しがたい」と言うだけで済ませ、理由が語られていない。
『イギリス・オランダ』、『スペイン・ポルトガル』、『ヴェネツィア』と三つの地域からのアメリカ大陸までの航程はかなり違いがあるが、たいした違いではないかのように書かれている。流入した銀についての話もない。
そのくせマルセイユから東地中海までの旅程については、ヴェネツィアに比べるべくもなく迅速性に欠け不利であると書かれていたりする。
また、テッラフェルマに関する記述がほとんど見られない。17、18世紀の共和国末期を取り上げるなら、本土領と貴族の関係は欠かせない材料のはずだが、あまり検討が加えられていない。あくまで毛織物業などの産業とのかかわりについて書かれているだけだ。
ほかにも色々とほのみえるが、総じて「ヴェネツィア共和国のすばらしさ(?)」なる幻想に不必要な要素を削っているような印象をぬぐえない。
それは、共和国末期のヴェネツィアへの評価を翻そうとする研究テーマゆえに、まるで不利な証拠を削るかのようである。そこまではさすがに言い過ぎかも知れないが、目立つように感じられてしまう。
◆◆◆ヴェネツィアの貴族についての記述◆◆◆
話は変わるが、共和国の貴族階級は、ヨーロッパで一般的な封建領主的な貴族とはいささか趣が違うといわれている。
著者の指摘にもあるが、共和国の貴族は、末期に近づくまでひたすら商業に励み、贅沢をしない人々であった。
しかし末期にはそれが崩れ、奢侈品を買いあさったり、パーティを毎日開いたりして豪勢な生活をひけらかすようになったという。
この変化についての考察は著書にはあまりない。国家の危機をいくどか乗り越え、ついに歴史の表舞台から消えたことによって国家の危機そのものが消失し、そのため安穏とした暮らしができるようになったからだ、と説明されている。そういう側面はあるだろうが、印象による意見であって、根拠を求めにくい理由だ。
以前エントリに書いた和栗珠里氏の論文『ヴェネツィア芸術の隆盛と土地所有』では、本土側(いわゆるテッラ・フェルマ)での土地所有とヴェネツィア芸術の開花との関わりについて述べられており、同じような観点から考察できそうな気はする。
簡単に言えば、商業を放棄するまでの共和国貴族階級は、ヨーロッパの封建的貴族階級とはやはり違う性格を持っていて、その後本土に領地をもち農業運営に乗り出してから急速に封建貴族の模倣が始まるという指摘があって、なかなか興味深い。
著者は共和国貴族の成立と変容についてはほとんど筆を割いていない。
日記や風俗画、戯曲といった当時の風俗の面から初期・全盛期の貴族との比較を行うにとどめており、「貴族たちはいかにふぬけたか」という焦点を強く持っている。
結局生活史の紹介にとどまってしまったうえ、共和国の崩壊について「もうちょっとがんばればもう少し存続できたはず」のような単なる一歴史ファンとしての言動に落ち着いている。
末期ヴェネツィア史の評価をどうにかして上げたいと言う気持ちは分かる。しかし、その意識が色濃く出過ぎている。まるで当時の貴族を叱咤激励するかのような書きぶりは、この本の目的というか本質を非常によく表しているのじゃないかと思う。
少なくとも学問として本書と向き合いたい場合には、あまり都合が良くない。
こうしたことからも『海の都の物語』の補足版といった趣をなしてしまっている、と評価せざるを得ない。
参考文献の少なさもそういった意見を補強するかも知れない。
執筆に用いた一次資料として、最も頻度の高かった書物が列挙されているが、そのうちの二冊は
ポンペオ・モルメンティ『ヴェネツィア生活史』(La Storia di Venezia Nella Vita Privata : Pompeo Molmenti)
J.J.ノリッジ『ベニスの歴史』(A History of Venice:John Julius Norwich)
となっている。
一次資料が書籍なうえ、引用元が本文に全く明記されていないので、根拠を追えない。そうしたことも本書の論拠の弱さを補強してしまっていると思う。
しかし、末期共和国の研究は進められている最中でもあり、著者の書いている世界はいわば半開拓状態だ。だからこれといった説得力が持てない可能性は、あるにはある。
◆◆◆本書の総評◆◆◆
繰り返しになるが、この本は塩野七生著『海の都の物語』と併せて読む本だろう。つまり鵜呑みにしてはならないが、興味深い読み物であるということだ。そして、共和国の歴史に関する勉強をするとき、この本を読んでざっと知識を得るのに適しているかもしれない。
むしろ、モルメンティの著作を翻訳してくれた方がありがたい気さえ、自分はするわけだが…(笑)
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さんざん文句を書きつつも、やはりヴェネツィア共和国の歴史に触れるのは面白い。
先日、『笑ってコラえて!』でヴェネツィアのカルネヴァレが特集されていた。サン・マルコ広場、サン・マルコ寺院、それに鐘塔とドージェ宮がいつも映っており、ピエトロ・ロンギの絵やフェニーチェ劇場など、本書で紹介されている事物が映像とともに紹介されていた。
むろん映像に釘付けである。
カルネヴァレまたいきてぇ…くそぅ。
残念ながら、カルネヴァレと関わりがあるのは風俗画の世界なので、ティツィアーノやティントレットはお呼びでない。また地中海を席巻したあのめくるめく交易の世界とも、直接の関係は薄い。
全盛期よりも斜陽のヴェネツィアを彩るのがカルネヴァレになっているが、ではその斜陽とは一体どんなことだったのか。
庶民と貴族の生活、その当時の意識を探る試みそれ自体に、敬意を表したい本だと思う。